戦国時代に思いを馳せて
2023.07.12
真田十勇士を知っていますか?
かの有名な戦国武将、真田幸村の配下です。少し年配の方なら、猿飛佐助や霧隠才蔵、由利鎌之助などを知っているかと思います。
さて、真田幸村は父の昌幸と共に元々は武田家に仕えていましたが、その後独立し、最後には豊臣秀頼に仕え、大坂冬の陣、夏の陣で大活躍するのは皆さん知っての通りです。
真田十勇士に話は戻りますが、幸村と共に数々の戦場に赴き活躍したと言われています。
この十勇士、実際に実在していたとも言われており、その中でも全く知られていませんが、望月六郎という武将がいます。
関ヶ原合戦の敗戦後、昌幸・幸村親子と共に和歌山県九度山(高野山の手前の辺り、真田祭も開催されます)に蟄居中、爆弾の製造に従事し、大坂夏の陣では七人の影武者の一人として大活躍、最後は大軍に囲まれて自刃しました。
何を隠そう、私は望月六郎の末裔を自称しています。一応祖父の本籍地が九度山でした。
望月六郎ですが、幸村配下の武将であると共に、爆弾系忍者であったようです。(ボンバーマン松永久秀系?)
望月の名前の由来は、満月(望月)の日に朝廷に馬を献上していたことによります。
さらに望月氏をネットで調べると、甲賀忍者の甲賀53家の筆頭格に数えられ、伊賀の「服部氏」、甲賀の「望月」と言われたようです。
そういえば忍者夫婦の某ドラマでは、甲賀忍者の末裔は医療関係や薬屋が多いと言っていましたが、私の親族にも確かに多くいました。
今放送している大河「どうする家康」に出てきている“千代”も、望月千代という女の忍者です。
滋賀県甲賀市にある、甲賀流忍術屋敷も実は望月屋敷なんです。他にも滋賀県甲賀市や長野県佐久市には望月城などもあったようです。
私もまだ行ったことがないので、また時間が出来たらルーツを辿る旅に出掛けたいと思います。
皆さんも戦国の風を感じながら旅をしてみてはいかがでしょうか?